先日、名古屋観光を楽しんだワタシ。
名古屋城を見学した後、ちょっと時間を持て余し、どこへ行こうかしら、とガイドブックを見ていたら、「トヨタ博物館」なるものを発見しました。
クルマ好きのワタシとしては行くしかありません!
トヨタ博物館ってどんなところなの?
トヨタ博物館は、1989年(平成元年)4月にトヨタ自動車創立50周年記念事業の一環として、愛知県長久手市にオープンしました。
さらに、1999年(平成11年)には、トヨタ博物館開館10周年を記念して新館がオープンしています。
名前のとおりトヨタ自動車が運営していますが、トヨタ車だけでなく、ガソリン自動車の誕生から約100年間の自動車の歴史をテーマに、19世紀末から20世紀にかけて製造された各国、各メーカーの自動車が体系的に展示されています。
本館2階では、いわゆるクラシックカーを中心に、本館3階ではおよそ1950年代から10年ごとに5つの年代別に体系的に展示しています。
新館2階では、時期に応じて収蔵車展などの企画展が行われます。
その他、新館3階には、クルマ関係の書籍だけで占められるトヨタ博物館ライブラリーなどもあり、クルマ好きならぜひ一度は行ってみて損はない博物館です。

トヨタ博物館の詳細な地図や周辺情報はこちら【楽天たびノート】
トヨタ博物館へのアクセスは?
トヨタ博物館の公式ホームページでは次のように案内されています。
- 鉄道
リニモ芸大通駅下車 徒歩約5分 - 路線バス
名鉄バストヨタ博物館前下車 徒歩約5分 - 自動車
駐車場300台(無料)愛知県道60号名古屋長久手線沿い 名古屋瀬戸道路長久手IC付近

名古屋駅からのアクセスは?
で、ワタシのような旅行者は、基本的に名古屋駅周辺からのアクセスになると思いますので、名古屋駅からのアクセスは次のとおりです。
1.名古屋駅から藤が丘駅まで
まずは、名古屋駅から市営地下鉄東山線で藤が丘駅まで行きます。
2.藤が丘駅から芸大通駅まで
藤が丘駅で愛知高速交通リニモに乗り換えて、芸大通駅まで行きます。
3.芸大通駅を出て左方向にへ
芸大通駅を出て左方向に道なりに進むとすぐに右前方にトヨタ博物館の建物が見えるのでわかります。
乗換回数は1回、名古屋駅から芸大通駅まで、乗換時間を入れてもおよそ40分少々です。
名古屋観光の日帰り半日コースとしては最適ですね。
ワタシも実際に、午前中は名古屋城観光で、午後にトヨタ博物館という行程でしたが、夕方になる前にホテルに戻って来られました。
展示車はどんなものがあるの?
たくさんあって紹介しきれないのですが、主なものをフロアごとにご紹介します。
なお、時季によって展示車が異なることもありますので、お目当てのクルマがある場合には事前にトヨタ博物館にお問い合わせくださいね。

本館2階の展示車
受付を過ぎてすぐのエスカレーターを上がったところが2階展示場です。
ズラッと並ぶ、クラシックカーの数々に圧倒されます。
今見ても風情あるたたずまいは何とも言えません。
お好きな方にはたまらないのではないでしょうか。
主なモノをご紹介します。
トヨタ AA型乗用車(1936:日本)[レプリカ]
入館してまず最初に目に飛び込んでくるのが、このクルマ。
2階の展示場へ向かうエレベータの横に飾られています。
トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎が中心となって、当時最新のアメリカ車を手本としながら開発したトヨタ初の生産型乗用車です。
ベンツ パテント モトールヴァーゲン(1866:ドイツ)[レプリカ]
ガソリン自動車の第1号と言われるベンツの三輪車で、1886年に作れられました。
棒ハンドルで前輪を操向していて、時速15㎞の走行が可能でした。
ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト(1910:イギリス)
1904年に創立されたロールスロイスは徹底した製品管理のもとに高品質な高級車をつくりはじめ、1906年、最大の傑作といわれる40/50馬力の6気筒車を発表しました。
この13番目のシャシーに全身銀色のツアラーボディを載せて、RAC(英国王立自動車クラブ)の監督下、グラスゴー~ロンドン間を昼夜ノンストップで、延べ15,000マイルをほとんどトラブルなしに走破し、幽霊のように静かでスムーズな走行性と塗色から”シルバーゴースト”と呼ばれるようになりました。
ブガッティ タイプ 35B(1926:フランス)
エットーレ・ブガッティの作品のなかで、もっとも有名なタイプ35は量産レーシングスポーツカーとして大成功を収め、世界中を驚嘆させた傑作です。
レーシングカーの持つ機能美を徹底的に追求し、自動車を芸術に変えてしまったとまで言われています。
タイプ35Bは、1924年から30年までつくられた35シリーズのなかでもスーパーチャージャーを装備した高性能モデルです。
アルファロメオ 6C 1750グランスポルト(1930:イタリア)
スーパーチャージャー付6気筒DOHC・1750㏄の軽快なエンジンで数々のレースに勇名を馳せた6Cは、設計者ヴィットリオ・ヤーノの傑作のひとつと言われています。
数々のレースで優勝していますが、公道上のレースとして知られるミッレ・ミリアで史上初めて平均時速100km以上で走破して優勝したことで特に有名です。
メルセデスベンツ 300SLクーペ(1955:ドイツ)
レーシングカーをもとに作られたスポーツカーです。
速く走らせるために軽くて丈夫なクルマを作ろうと、金属パイプを組んでその上にボディを乗せる構造にしたところ、普通のドアがつけられなくなり、ガルウィングと呼ばれる、上に跳ね上がるドアが考え出されました。
本館3階の展示車
このフロアは、いわゆる現代の自動車の展示になります。
1950年代の名車の続きから、バブル期に一世を風靡したクルマが目白押しで、その年代の方にとっては、思わず「懐かし~い!」と叫びたくなってしまうかも知れません。
トヨペット クラウン RS型(1955:日本)
3階へのスカレーターを上がるとすぐこのクルマが展示されています。
クラウンの初代モデルで、海外との技術提携によらずに開発されました。
観音開きドアが特徴です。
キャデラック エルドラド ビアリッツ(1959:アメリカ)
巨大なテールフィンなど大胆なデザインと当時の最新技術を搭載したアメリカを代表する高級車。
1948年型キャデラックに初採用されたテールフィンは世界中のクルマに衝撃を与えました。
フォルクスワーゲン タイプ1(1951:ドイツ)
ヒトラーの国民車構想の命により、フェルディナント・ポルシェ博士が設計したこの車は、戦後、生産を再開するとドイツ復興の原動力となりました。
1949年にアメリカへ初輸出されると、優れた商品性と安価な価格などから、“ビートル(かぶと虫)”の愛称で、特にホワイトカラー層を中心に人気を博し、アメリカ輸入車のベスト・セラーとなりました。
モーリス ミニ マイナー(1959:イギリス)
アレック・イシゴニスによって設計され、横置きエンジン、前輪駆動、2ボックススタイルなど、当時としては画期的な成り立ちで登場しました。
発売以降長い間世界中の人々に愛され、特にジョン・クーパー との共同開発による「ミニクーパー」は優れたハンドリングなどによりモンテカルロラリーで総合優勝するなど大活躍しました。
スバル 360 K111型(1958:日本)
「てんとう虫」と呼ばれたスバル360は、日本の軽自動車のお手本となった傑作です。
卵の殻のような丈夫な構造を持ち、同じようなサイズのクルマより100㎏以上も軽く、大人4人が乗車できました。
ダットサン フェアレディ SP310型(1963:日本)
ブルーバードのシャーシにセドリックの1,500㏄エンジンを載せた国産初の量産スポーツカー。
第1回日本グランプリでは、欧州製スポーツカーを下して優勝しました。
ホンダS500 AS280型(1964:日本)
オートバイで成功した、ホンダ最初の乗用車です。
搭載されたDOHCエンジンは、当時の常識からかけ離れた精緻なメカニズムと性能を持ち、世間を驚かせました。
トヨタ 2000GT MF10型(1968年・日本)
オイルショックや排出ガス規制などに縛られなかった60年代には、世界的な傾向のなかで魅力的なスポーツカーが多く誕生し、日本でも高性能なグランツーリスモ、トヨタ2000GT(1965年)を登場させることになりました。
ロングノーズの均整がとれたスタイリングやバックボーンフレーム構造、6気筒ツインカムなどデザイナーやエンジニアが思う存分に腕をふるった結果は、谷田部のテストで3つの世界記録と13の国際新記録を樹立し、世界水準の高性能車をつくり上げました。
マツダ コスモスポーツ L10B型(1969年・日本)
東洋工業(現マツダ)は、実用化のため厳しいテストと改良の結果、1967年に日本初のロータリーエンジン搭載車、マツダコスモスポーツの販売を開始しました。
未来的なスタイルに身を包み、491cc×2の小排気量ながら、レシプロエンジンの2リッタークラスをもしのぐ128PSの出力を発揮しました。、
フィアット ヌォーバ500L(1972:イタリア)
丸みのあるユーモラスなこの2代目のフィアット500は、イタリア語で500を意味するチンクエチェントと呼ばれた大ヒット作で、1957年から1977年まで生産されました。
リアエンジン・リアドライブの2ドア4人乗りで、キャンバス・トップを装備した小型乗用車で、初代500のトッポリーノと区別するためにNUOVA500(新500)と名付けられました。
ウチの子には「ルパン三世のクルマ」というイメージのようです。
アルファロメオGT1300Jr(1968:イタリア)
スポーツモデルであるジュリアスプリントGTの普及版として1966年に登場しました。
ジョルジェット・ジウジアーロによる清楚でエレガントなボディに1.3Lツインカムエンジンと5速MTを搭載し、大ヒットとなりました。
トヨタ ソアラ 2800GT-EXTRA(1981:日本)
トヨタ初の高級スペシャルティ・カーとして、1981年に発売されました。
医師・弁護士・実業家など知的な職業に携わる裕福な青年層に向けて開発された高級・高性能なパーソナルカーで、ソアラとは最上級グライダーの意味だとか。
エンジンはトヨタ2000GT以来の6気筒DOHC(5M-GEU)で、2,759cc、170ps/24kgmと、当時の国産最高性能を誇りました。
また、デジタル表示のスピードメーターにLEDのタコメーターを組み合わせるなど、インテリアにも先進技術を積極的に取り入れ、自動車技術のエレクトロニクス化到来を告げるモデルとなりました。
展示車は、当時、一番人気があったゴールドのツートーンカラーにフェンダーミラー。
ワタシは懐かしさのあまり、涙が出そうになりました…(笑)
トヨタ カローラ レビン AE86型(1983:日本)
カローラクーペ系最後のFR(後輪駆動)モデルです。
生産終了後FRの走行性能を好むファンの間で人気が高まりました。
車両型式(AE86)から“ハチロク”と呼ばれています。
ウチの子は、この元祖「ハチロク」に感動しておりました…。
レクサス LS(LS400)(1990:日本)
ベンツやBMWなど、欧州高級ブランドに負けないフラッグシップカーを目指して開発されました。
高品質と走行性能、快適性を高次元で両立、北米市場で高級車のトップブランドのひとつとなり、その後の世界の高級車設計に大きな影響を与えることとなりました。
別館の特別展示車
本館2階と3階以外にも、時季によって特別展示されているクルマがあります。
ワタシが行ったときは、懐かしのクルマが数台展示されていました。
デロリアン DMC-12(1982:アメリカ)
GMの副社長だったジョン・ザッカリー・デロリアンが設立した、「デロリアン・モーター・カンパニー」が製作したスポーツカーです。
ガルウイング式ドアとステンレス製ボディが特徴です。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに登場する車型タイムマシンとしても有名ですね。
トヨタ MR2 AW11型(1984:日本)
1983年秋の東京モーターショーに参考出品されたコンパクトなミッドシップ・エンジンのSV-3を、84年にMR-2の名で発売しました。
84~85年日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。
なお、すべての展示車は、コチラで解説されています。

まとめ
いくらトヨタが世界的な大企業であっても、ここまでのクルマを揃え、展示し、かつ維持管理するのは大変なことだと思います。
あらためて日本のクルマ、いや日本の企業の底力を見た思いです。
ガンバレ!トヨタ!!、ガンバレ!日本企業!!
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